Iちゃんのこと ②
お気楽専業主婦で良かったとつくづく思う今日この頃―――
Iちゃんちに初めておじゃましたその日、いわゆる茶の間に通されお母さんの背後の襖が開いたとたん・・であった。となりの和室に布団が敷かれてそこにIちゃんの妹Kちゃんが横たわっていた。死んでいた。お母さんは寝ているという。Kちゃんは長いことガンを患い入退院を繰り返していたがいつからなのか自宅に戻ってきていた。そして自宅で亡くなったのである。9月に入ったばかりのその日は残暑がぶり返したような暑い、暑い日だった。ひと目で死んでいるとわかった。本当にショッキングだった。でもお母さんは寝ていると言ってきかない。いやはやとんでもないことになったと瞬間思ったのだ。
親の葬式も出したことのない私が突然、赤の他人の葬儀に関わることになった。力になってくれそうなナカヨシナカマに片っ端から電話して段取りを手伝ってもらった。大変な葬儀だった。Iちゃんとお母さんの身内、親戚は誰ひとり来てはくれなかった。隣近所の方も誰も来てはくれなかった。誰も関わり合いたくなかったのだ。
そんなIちゃんちの葬儀を何とか終え・・本当にようやく終わったと思ったのはそれから1ヶ月も経ってからだったが、そこからまた新たな問題勃発なのだ。Kちゃんがいた時はなんとかなっていた面もあったのだろう。KちゃんがいなくなってIちゃんとお母さんの二人、統合失調症の娘と認知症が進んだ母の二人きりが毎日毎日家の中に引きこもっているわけだ、何も起こらないわけないか。Iちゃんがお母さんに暴力をふるうようになったのだ。そりゃIちゃんの気持ちがわからないわけじゃない。死んだ娘を寝てると言い張るようなお母さんである。それでなくても自分でバランスをとるのが難しいIちゃんが言ってもわかってもらえないお母さんに暴力で訴えたとしてもそれは「自然」な流れかもしれない。Iちゃんだってどうしたら良いのか途方に暮れただろう。
Iちゃんちはすでに亡くなったお父さんの遺族年金がガッチリ入ってくる家庭だったのでそれまでいわゆる福祉の手がまったく入っていなかった。誰も「保護」してくれなかったのだ。きっとIちゃんちみたいなパターンは結構あるのかな~と思う。福祉ってのは本当に難しいよ・・と思った。何度か行政に足を運び担当部署の保健師さんと話し合いを持ったりした。定期的にIちゃんちの様子を見てもらうようにしたのだ。しかし行政が動こうにもIちゃんの暴力で痣を作ったお母さんはけしてIちゃんにやられたとは言わない。それでどうしようもない日々が続いた。それでもついにお母さんが顔を腫らしてご近所に逃げ込んで来たのだ。これ幸いである。お母さんを安心させ、事情を聞き、すぐにお母さんを完全に保護してもらう手を打った。17時をまわっていたにもかかわらず行政の担当者と保健師さんが現場に来てくれた。お母さんの話を聞きそのまま、本当にそのまますぐに施設に保護してもらうことにした。着の身着のままご近所に逃げ込んだあの日以来、Iちゃんのお母さんは一度も自宅に帰っていない。その日はとりあえず受け入れできる特養に入った。担当してくれた保健師さんがとても親身になって手続きをとってくれた。本当に良い人に当たったと思った。特養には長居はできない。その後ラッキーなことに自宅近くのグループホームに空きが出てすぐにそちらへ移動できたのである。それがいま現在Iちゃんのお母さんが暮らす施設である。
Iちゃんはというと、お母さんが行政に保護されたことを聞いてものすごく心配をし、戸惑っていた。でもIちゃんにとってもお母さんにとっても良い方向に進むよう一緒に考えていこうと話すと落ち着いて納得をしてくれた。Iちゃんがお母さんの面倒を見ていくなんて到底ムリなのである。気持ちはあっても現実にムリなのだ。だからそこに暴力というひずみが生まれるわけだ。
お母さんが特養に入った翌日、当座必要なモロモロを持ってお母さんの所に一緒に行く約束をしてIちゃんと別れた。Iちゃんは寂しかっただろう。つらかっただろう。でも私はIちゃんとお母さんの生活を長期的に安定させるために手段を選ばない覚悟をすでに決めていたのだ。
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